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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)992号 決定 1990年1月22日

本籍

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番

住居

同所一一番一〇号

会社役員

加藤寛

昭和一九年一月一日生

本店所在地

神奈川県鎌倉市極楽寺一丁目一一番一〇号

株式会社加藤

右代表者代表取締役

加藤寛

被告人加藤寛に対する所得税法違反、法人税法違反、被告人株式会社加藤に対する法人税法違反各被告事件について、昭和六二年七月二七日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

弁護人上林博、同野口啓朗の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 角田禮次郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌 裁判官 大堀誠一)

昭和六二年(あ)九九二号

上告趣意書

被告人 加藤寛

被告人 株式会社加藤

右被告人加藤寛に対する所得税法違反、法人税法違反、並びに同株式会社加藤に対する法人税法違反各被告事件についての上告の趣意は左記のとおりである。

昭和六二年一〇月二六日

弁護人 上林博

同 野口啓朗

最高裁判所第一小法定 御中

原判決には以下に述べるような重大な事実の誤認があり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。

第一 被告人加藤寛は本件脱税の実行行為に全く関与しておらず、かつ本件事業は加藤寛二単独あるいは被告人加藤と加藤寛二の共同経営にかかるものであつて、その所得は被告人加藤寛単独に帰属するものではない。

一 本件は被告人加藤寛(以下、被告人という)が、株式会社加藤の法人税をほ脱し、同時に個人で営む事業(以下、本件個人事業という)について所得税をほ脱したものとして起訴され、一審判決及び原判決ともに公訴事実どおり認定して被告人及び株式会社加藤(以下、被告人会社という)に対し有罪を言い渡したものである。

しかし、本件各ほ脱行為は被告人会社の事業及び本件個人事業の経営の中心的存在であり、実質上の経営者であつた被告人の父加藤寛二(以下、単に寛二という)がすべて単独でなしたものであり、被告人がこれに関与した事実はまつたくない。

二 また本件個人事業は寛二単独あるいは寛二と被告人との共同経営にかかるものであつて、一審判決及び原判決が認定したような被告人の単独経営にかかるものではなく、したがつて同事業による所得がすべて被告人のみに帰属するものではない。

三 本件に現れた全証拠を虚心に精査しこれを正当に評価するならば、右のような事実を容易に推認することができるのであるから、本件各公訴事実すべてについて当然無罪、少なくとも被告人に対する所得税法違反の点について被告人の所得額は原判決認定の二分の一にすぎないと認定すべきであるのに、一審判決及び原判決は以下に述べるようにいずれの点においても事実誤認を犯し、有罪判決を言い渡したのである。

第二 原判決の誤り

一 被告人の実行行為を認定した誤り

1 原判決は「記録を調査し、当審における事実調べの結果を総合すれば、被告人が本件各年度の所得税および法人税の各確定申告手続きの際、寛二が作成した各確定申告書を見せられて、そこに記載された所得金額および税額が、虚偽過少のものであることを認識しながら、同人をしてこれを所轄税務署に提出させたこと」を「優に認めることができ」るとした。

右事実認定を支える唯一の証拠が捜査段階における被告人及び寛二の検察官及び大蔵事務官に対する供述調書であるところ(この点は原判決も否定していないところである)、被告人の本件実行行為を認めた右各供述調書に信用性がないことは一審、原審を通じて被告人及び弁護人が一貫して主張してきたものであるが、原判決は不当にもこれに信用性を認めて被告人、弁護人の右主張を退けたのである。

そこで原判決が右各供述調書に信用性を認めうるとしたその根拠に関する判示がいかに理由のない、不当な判断であるかを以下明らかにしたい。

2(1) 原判決は、被告人及び寛二は在宅のままで取調べを受け、右各供述調書はその間に作成されたものであること、査察直後から税理士に相談し、税理士をして国税庁との折衝にあたらせ、検察庁に告発される以前から弁護人が選任され、同弁護人は被告人らを同行して担当検察官と面談し被告人らのための弁護活動もしていたことを理由に被告人及び寛二の右各供述に任意性を認めたうえ、このような状況下では関係機関が一定の予断のもとに誤つた方針を立て、これに添うように供述することを押し付け、あるいは誘導するといつた行為に出ることは甚だ困難であり、現に被告人及び寛二が関係諸機関から右のような取調べや不当な扱いを受けたことを当時弁護人らに訴えた形跡は窺えないこと、検察庁に告発されすでに刑事事件となつた後にも被告人及び寛二は大蔵事務官に対し述べたところと大筋において同様の供述を検察官に対し供述し続けており、事柄によつてはより詳細・具体的に供述していることからして、右各供述調書における各供述に信用性を認めることができるとした。

この点に関し、弁護人としては被告人らの供述の任意性まで争つているわけではないが、その信用性について原判決の判示するところは全くの独断にすぎない。すなわち在宅事件であつても、被疑者には捜査機関の意向に逆らうならば、何時身柄を拘束されるかもしれないという恐怖ないし不安がつきまとつているのが通常であり、ことに執行猶予の判決が予想される事案の場合にはむしろ身柄を拘束されるという事態を回避するために捜査機関の意向を迎えた供述をなした方が得策であるとの判断をすることも多々あることであつて、在宅事件であるからといつてその供述に信用性があると即断することは誤りである。

本件においても被告人及び寛二は一方で修正申告による穏便な解決を切望すると同時に、他方において終始被告人の身柄拘束を恐れていたが故に、被告会社の代表者である被告人を実行行為者とする捜査当局の意向に迎合し、大蔵事務官及び検察官に対し一貫して被告人の犯行を認める旨の虚偽の供述を維持し続けたのである。

本件捜査段階において被告人に税理士及び弁護士が選任されていたことは原判決指摘のとおりであるが、一般に税理士は国税当局と争うことを忌避する傾向が強く、仮に争うとしてもその事項は職業柄得意とする所得額の多寡等計数的側面に限定されるのが通常である。そして結局は当局との話し合いという妥協を経て、修正申告をなして決着に至る例がほとんどと言つても過言ではなく、ほ脱の実行行為自体の存否あるいは所得の帰属主体いかんという妥協の余地のない事項について国税当局との折衝を受任する税理士はまずいないとみて間違いない。本件においても、被告人及び寛二は実行行為及び所得の帰属主体いかんの問題については敢えて当局と争う意思はなかつたから、選任された税理士もこれら根本的な問題を抜きにして国税当局との折衝にあたつたに過ぎず、右各事項が捜査当局との間で争点として顕在化することもなかつたのである。

これと同様に、捜査段階から弁護人が選任されていたとの点もなんら被告人らの供述の信用性を担保するものではない。一般に弁護士の場合、税理士と異なり国税当局と真正面から争うことにより、職業上支障を来す等格別の障害は存在しないが、それでも当の被疑者自身が当局との正面衝突を回避したいとの意向を強く有しているときは、やはりこれに従わざるをえず、被疑者に対し当局との折衝によつて修正申告をするよう指導し、刑事裁判ではこの修正申告の事実に基づき執行猶予の判決を求めるという弁護方針のもとに弁護活動を遂行するのが通例に属するといえよう。本件において選任された弁護人はまさにかかる弁護活動を行つたものであり、被告人が本件犯行に関与したことはないとの立場で捜査機関と折衝するなどの弁護活動をした事実はないのである。

また被告人及び寛二が検察庁に告発された後も従前と同内容の供述を維持しているのは、身柄拘束の可能性に対する不安や従前の供述を覆すことにより予想される不利益(捜査官の心証を害し、修正申告を受理してもらえない事態になることや実刑判決が言い渡されるかもしれないこと)を慮つた結果にすぎない。このことは被告人及び寛二の第一審における供述から十分に認められるところである。

一般の刑事事件と対比した場合、脱税事犯の捜査において特徴的なことは、経済的利害の対立する一方当事者である国税当局が他方の当事者である被疑者の取調べを行うこと、そこにおいては被疑者側に経済的考慮(打算)が働いて真実を離れた妥協がなされ易いことにあることは周知の事柄であるが、本件においても被告人及び加藤寛二は、寛二が被疑者とされようと被告人が被疑者とされようと納める税金の額は同じであり、また当局の意向は高齢の寛二にまでは刑事責任を負わせまいとするところにあり、感謝すべきものであつて、これを真正面から否認することは事態を紛糾させるだけでなんら利益をもたらすものではないという考えに終始し、捜査機関の筋書に添つた供述を維持することに努めたものである(もつとも国税局の捜査の初期の段階で、寛二は同局に対し本件個人事業にかかる店舗の中には寛二が経営するものもある旨述べた被告人及び被告会社共同作成名義の上申書を提出しようとしたが、同局の担当者によつて当該部分を削除訂正され、結局同局の意向に添つた内容の上申書に書き換えさせられ、提出させられたという経緯がある)。

このような被告人及び寛二の姿勢は、当初は東京国税局の意向に応じた受動的なものにとどまつていたが、捜査が進み同国税局による取調べの最終段階から検察庁での取調べの段階に移行した時点では、国税当局が修正申告を受け入れるよう検察官にも働きかけてもらおうという意思が生じたために、むしろ積極的に迎合するようになつていつた。被告人らの検察官に対する供述がより詳細・具体的になつた点があるのは検察官の捜査技術による面があると同時に、被告人らのかかる態度の変化も大いにその原因をなしているのである。

原判決は前記のような外部的な事項を信用性肯認の根拠として挙げたが、その意義については極めて一般的かつ表面的な把握にとどまつて、脱税事犯が一般刑事事件と異なる性格を有していること及び本件における個別的事情に対する正しい認識を欠くものである。そして以上に述べたような本件捜査における具体的事情に照らせば、原判決が判示するところの事項をもつて被告人らの供述に信用性を認める根拠となすことは到底不可能であるといわざるを得ない。

(2) 原判決は、次いで弁護人の主張のいくつかに対して応答しているので、そのうち重要な事項について検討する。

まず、原判決は弁護人が昭和五四年一一月二四日付質問てん末書の「確定申告書作成前に申告額について相談した」旨の被告人の供述部分は信用できないと主張したのに対して、被告人の右供述にいう「相談」とは「申告額等を決定するための正式の相談」ではなく「日常的・雑談的な話し合い」、「雑談程度の話し合い」にすぎないと認定した。

しかし、被告人の右供述が、おおまかにとはいえ、あくまで申告額を決定するための相談をしたが、ただ具体的な金額の決定は寛二にまかせたという趣旨に出たものであつて、けつして「雑談程度の話し合いをした」との趣旨にとどまるものでないことは明らかであり、そうすると右供述が虚偽であることは寛二の「申告書を作成する前の段階では、納税額はこれだけで、所得金額はこれだけであるという話し合いは寛との間で行つたことは一度もありませんでした」との供述内容及び寛二が右供述部分以外に、申告書作成前の寛との話し合いについて一切言及していないこと(要するに、寛二の供述の趣旨は所得税・法人税の申告に関して被告人と「正式な相談」は勿論、「雑談程度の話し合い」すらしたことがない、というものである)に照らして明白である。原判決はこのように寛二と被告人の各供述が矛盾し、ひいて被告人の右供述の信用性が失われるに至ることを回避するため、被告人の供述の趣旨をことさらに歪曲したとの誹りを免れない。

(3) 次に原判決は、被告人の昭和五五年三月五日付検面調書(一二枚綴のもの)中、各確定申告書を寛二から見せられた日時を具体的に特定して供述している部分は信用できない旨の弁護人の主張に対し、「被告人は押収された各確定申告書自体を見せられたうえで」右日時を「尋ねられているのであつて、右確定申告書第一面には税務署の収受印が押捺されていて容易に受付日を判読することができるから、あえて検察官に聞きただすまでもなく確定申告書提出日を知り得るうえ、所得税確定申告書の提出期限が三月一五日とされていることは広く一般に周知徹底されているところであり、被告人程度の年令・学歴・社会経験を有する者がこれを知らなかつたとは到底認め難い」として弁護人の右主張を排斥した。

しかし、被告人は検察官の取調べを受けた際、確定申告書の収受印まではつきりと見せられたのではない。控訴趣意書でも述べたように、被告人が検察官に対し当該申告書が税務署に提出された時期を尋ね、検察官がたとえば「五月だ」と答えた場合には被告人はそれが五月末であると思い込んでいたために、その半月ないし二〇日前の日をもつて確定申告書を見せられた日である旨供述したものである。

原判決は右取調べの際、検察官が確定申告書を被告人にはつきりと示したことを当然の前提としているが、検察官が被告人にこれを示したのはほんの一瞬であり、被告人が収受印の日付まで確認する余裕はなかつたのである。

仮に、被告人が検察官の取調べを受けた際、確定申告書の収受印の日付を何らかの方法で確認したとしても、寛二からこれを見せられた時期についての検察官に対する右供述が「喚起された記憶」に基づくものとはけつしていえない。なぜなら、右検面調書に先立つて作成された被告人の大蔵事務官に対する昭和五四年一一月二四日付質問てん末書をみれば、大蔵事務官の取調べを受けた際にも被告人は各確定申告書を示されたにも拘らず、「この申告書をいつどこで見たかについては思い出せません」という極めて曖昧な供述しかしていないのであつて、それから三か月余を経た検察官の取調べの段階に至つて突如として記憶が蘇る合理的な理由は全く存しないからである。したがつて原判決の言うように被告人が検察官の取調べの際に確定申告書の収受印の日付を確認したとしても、被告人の右供述はまさにその日付に基づく推測でしかない疑いが極めて濃厚であると言わねばならない。

このように被告人の右供述の信用性には大いに疑問があるにもかかわらず、原判決はその評価を誤つてこれに信用性を認めたものであり、到底承服できるものではない。

なお、被告人の一審公判廷における前記供述は、質問に立つた弁護人の誤解もあつて、その趣旨が明瞭を欠くきらいがあつたため、原審において弁護人はこれを明確にするため被告人質問を請求したのであるが、原審はこれを却下して採用しなかつた。しかし、本件における被告人の実行行為の存否を認定するうえで、右検面調書の右供述部分が占める役割の重大性に鑑みれば、原審の右却下決定は明らかに審理不尽の違法を犯すものと言わざるを得ない。

(4) 本件対象年度の各確定申告書の氏名欄ないし自署欄に被告人自身が自署したことが一度もないことは、被告人が各確定申告書を見ていないことの何よりの証左であるというべきであるが、この点につき原判決はまず、昭和五二、五三年度の被告人名義の所得税確定申告書について、「すでに申告者署名欄には被告人名が小西税理士により代署されていたものと認められるのであつて、その時点では申告者氏名欄が空欄であつて署名を求め得たことを前提とする弁護人の主張は、その前提を欠くものといわねばならない」と判示した。たしかに原判決の指摘はその限りではもつともであるが、寛二が代署した昭和五一年度の確定申告書を含め、被告人が自己名義の確定申告書に一度も自署したことがないという厳然たる事実には何らかわりはなく、原判決の右判示は被告人が各確定申告書を事前に見たとする検察官の主張の積極的な裏付けになるものではない。

また被告会社の法人税確定申告書にも寛二が代署した点について、原判決は「寛二としては所得税の確定申告書の氏名欄に自署することが必須なものとは考えず、ただ、被告人会社の法人税確定申告書については代表者自署欄と経理責任者自署欄とが併存することからして、同一字体で書くことは不都合なので、代表者自署欄には字体をかえ被告人の字体に似せて代署したものと推認される」と判示している。

原判決も認めざるを得なかつたように、寛二が少なくとも法人税確定申告書に代署するにあたり、所得税確定申告書がそれ自体申告者の「自署」を要求していないのと異なり、法人税確定申告書ははつきりと「自署」を要求しているため、その字体に神経を配つていたことは明らかであるが、そうだとすればこれについて寛二は何故被告人に自署を認めなかつたのであろうか、この根本的な疑問に原判決は全く答えていない。

原判決は正当にも「被告人は、もともと経理面を一切寛二に一任し、外部に提出する書類の作成・提出をまかせ、そのための実印をも預けていた関係があり、寛二においても自署しなけば受領してもらえない書類はともかく、代署でも通用する書類については、寛二において作成・代署・押印していた」し、「被告人の自署が必須の場合には被告人にこれを求めれば足り、被告人と寛二は親子で、同一敷地内に隣接して自宅があり、日常事務連絡で顔を合わせる機会も少なくなく、寛二が被告人に対し自署を求めることが困難な状況は全く窺えない」と判示しているが、そうだとすれば自署が要求されている右法人税確定申告書について被告人の自署を求めることに何等の傷害はなかつたはずである。いわんや原判決が認定したように寛二が右法人税確定申告書を被告人に見せたというのであればなおさらのことである。右法人税確定申告書を被告人に見せる機会は十分すぎるほどにあつたのに、寛二が何故わざわざ字体を被告人に似せてまで代署しなければならなかつたのであろうか。原判決はこの重大な疑問には全く答えることができなかつた。

なお、この法人税確定申告書の代表者自署欄に署名したのは誰かという問題に関し、寛二が捜査の最終段階に至るまで、被告人自身が自署した旨の虚偽の供述を維持した理由について、原判決は「被告人の自署であるかのように装つて被告人の字体に似せて代署した手前もあつて」かかる供述をなしたものだと判示しているが、見当違いも甚だしい。代署であつても寛二は被告人が申告書に目を通し、これを了知したことを認める供述をしているのだから、右代署が正当なものであることは当然であり、寛二が後ろめたさを感じなければならない格別の理由は何もないのであつて、その意味では右虚偽の供述を最後まで貫く必要はなかつたと言わねばならない。

寛二が大蔵事務官に対して右の供述をしたのは、国税当局の意向を先取りして、被告人に確定申告書を見せたとの供述を補強しようとしたためだつたのであり、検察官に対しても同一の供述を維持したのは、右の理由に加えて、いまさら従前の供述を覆そうものならば、事態をいたずらに紛糾させるばかりか、その結果寛二が最後まで希望し、検察官もそれに対する協力の態度を示していた修正申告による解決の途が閉ざされてしまうことに対する懸念があつたからなのである。

しかし、結局は寛二が希望していた内容の修正申告は国税当局の認めるところとならず、被告人は国税当局の見解に従つた内容で起訴されるに至つたため、寛二はこれを不満として、一審公判廷では捜査段階での供述を覆し、この際すべての真実を明らかにして裁判所の公正な判断を仰ごうとしたに過ぎないのである。

原判決は寛二のかかる真情を全く理解しないものであつて、遺憾というほかないが、それはともかく、原判決が寛二の捜査段階における右代署に関する供述部分が真実でないことを認めざるを得なかつたにもかかわらず、「そのことは右各書面における寛二の供述全体の信用性を失わしめるものとまでは認められない」との判断を示したことには驚きを禁じ得ない。

検察官が主張する被告人の本件犯行(具体的には、確定申告書を税務署に提出する前に寛二から見せられたこと)を認定しうるとすれば、その証拠は被告人の自白及びこれを補強するものとしての寛二の供述のみであるが、その寛二の供述は、何よりも右法人税確定申告書の代表者自署欄に被告人自身が自署したという「事実」の裏付けによつて補強され、これに支えられているのであつて、右「自署」に関する供述部分が明白な虚偽である以上、これに支えられた寛二の供述全体の信用性はないことが明白であるといわねばならない。

しかるに原判決は前記のように「寛二の供述全体の信用性を失わしめるものとまでは認められない」というが、寛二の供述のうち、右部分を抜きにして被告人の本件実行行為を認定することは到底不可能であつて、原判決は寛二の供述全体に占める右供述部分の決定的な重要性を見失つていると言わざるを得ない。原判決がなお信用性を失わないとした「寛二の供述全体」とは一体何を指すのであろうか、全く理解し難い判示である。

(5) 次に、原判決は、被告人及び寛二が検察官に対し、脱税した金額について将来修正申告するとともに、それ以後は正しい申告をしようと考え、帳簿書類を保存していた旨供述していることについて、「右供述が被告人や寛二の真意であつたかについては直ちに信用できないが」としながらも、右供述は「被告人や寛二が脱税をずつと続けたまま営業をしようとしていたわけではなく、時機をみて正しい申告をして正常な状態にもつて行きたいと考え、その場合に備えて帳簿書類を整えていたとして良心的なところもあつたことを強調して、これを酌んでもらいたいとする趣旨で述べているもの」であるから、「検察官が誘導して供述させたとみられるような性質の事柄ではない」と判示している。

たしかに、被告人や寛二が少しでも情状を良くしたいという気持ちを有していたことは容易に推認できるところであるが、だからといつて、誰が聞いても不自然としか思えない右のような内容の供述を検察官に対して平気でするはずがないのである。また、原判決は「検察官が被告人や寛二の弁解を十分聞き、それを調書化したものであることが窺えるとする原判決の説示に誤りがあるとはいえない」としたが、取調べに当たつた検察官において、このような明白に不自然な供述に接した場合、これをそのまま録取することは通常考えられず、検察官としては、むしろその供述の不自然さ、非常識さを追求して真実を供述させようと努めるのが通常であろう。それにも拘らず、本件においては、そうではなく、かかる供述をそのまま調書化しているところに問題があるのである。

そもそも、犯意をもつて脱税行為を行つている者が過去の帳簿書類を完全に、しかもこれを隠そうともせず、ごく通常の状態で保存しているという事態はおよそ想定しがたいことであり、かかる客観的事実の存在は却つて当該行為者に脱税の認識つまり犯意がなかつたことを推認させる有力な証左となるものである。

本件においてはまさにこのような客観的事実が存在したために、検察官が被告人及び寛二をして、これを合理的に説明させる必要を強く感じたであろうことは想像に難くなく、そのためにこそ検察官は両名から帳簿を保存していた理由を聴取したのである。

一般に、検面調書に録取された供述は、検察官からの積極的な質問に対する回答としてなされたものばかりであり、供述者が検察官から聞かれもしないことを自発的に供述することはないのが通常であつて、右の帳簿保存の点に関する被告人及び寛二の供述も、検察官としては同人らの犯意を明確にするために大きな障害となる右事実については、どうしても何らかの説明をつけておかなければならない必要があつた事柄であつたが故に、積極的に質問をなし、これに対する回答としてなされた供述であることは明白であるといわねばならない。

そうすると、検察官が、被告人らの右供述を録取した真の狙いが被告人らの犯意を明確ならしめようとの点にあつたことは疑う余地がなく、たまたまその供述内容が被告人らの情状を良くしたいとの意向と合致したに過ぎないとみるべきものであつて、原判決の、情状を酌んでもらいたいとの趣旨に出た供述であるとか、検察官が被告人らの弁解をよく聞きこれを調書化したものであるとの評価は全くの見当外れといわざるを得ない。

(6) 寛二が「大船ヴィーナス」「大宮歌麿」の両店舗の営業名義人になつている点に関し、被告人が、そのような事情はまつたく存在しないにもかかわらず、被告人名義で風俗営業の許可を得るのは風俗営業取締法違反の前科の関係で不可能であつた旨明らかに虚偽の供述をしている理由について、原判決は、右両店舗の営業名義人を寛二にした真の理由が、<1>被告人の所得として申告すると累進課税により税額が大きくなるので、これを避けるためであつたこと及び<2>寛二の妻の老後の生活保障のためであること、と推認されるとしたうえ、被告人はこれらの事情を表面に出したくなかつたがゆえに、風俗営業取締法違反の前科の関係で被告人名義で営業することができないときは、寛二や従業員名義を用いて来たことから、同様の理由を述べたものと推認される、と判示している。

しかし、右<2>の理由はともかく、右<1>についてはなんと独断的な判断であろうか。

右両店舗を寛二の営業名義にしたのは、寛二が自ら開業資金の全てを出捐したばかりでなく、事業経営の中枢として君臨しているにも拘らず、その所有名義の店舗を全く持つていないのは不合理であると考えたからであり、被告人もまたこれを認めた結果なのであつて、ごく当然のことなのである。たしかに寛二は捜査段階において右<1>の理由を供述しており、原判決は、これを無批判的に信用して、累進課税により被告人の税額が大きくなることを回避するために寛二名義にしたものと断定するが、現実に寛二が申告した昭和五三年度の所得は、八一万九二〇〇円に過ぎず、同年度の被告人の申告所得一四四八万一三二五円に比べると極めて僅かな金額にとどまつており、所得を分散したことによつて被告人が受けた利益はほとんどないに等しいものであつて、ここからしても被告人らが、右両店舗の営業名義人を寛二とすることにより、累進課税制度による不利益の回避を意図したものとは到底認めることができない。寛二は一審公判廷において、累進課税の正確な意味は知らなかつた旨供述しているが、同人が実際に行つているところを見ればまさにそのとおりであつて、もし累進課税の内容に通じ、これを悪用しようとしたのであるならば、被告人と寛二の所得について右のような、ほとんど税額軽減効果のない按分の仕方をするはずがない。

さらに、原判決の、被告人としては右<1><2>の事情を表面に出したくなかつたから、別の理由を述べたとの説示部分であるが、被告人自身既に大蔵事務官に対し、脱税の犯意があつたことを認める供述をしており、他方寛二は右<1>の趣旨の供述をなしているのだから、いまさらこれを隠す理由はなかつたというべきであり、<2>についてもそれ自体「いわゆる嫁姑の関係がからむ事柄」に直結する問題ではないのであつて、被告人がこれに代えて、事実と証拠に明らかに反する虚偽の理由を述べてまで隠さなければならないほどの事柄ではないというべきである。

しかるに被告人の右虚偽の供述が、大蔵事務官から、右両店舗が寛二名義であるにも拘らず、被告人の経営にかかる店舗であることの説明を求められた際、大蔵事務官の意向を汲んで、いかにももつともらしく、一見説得力のありそうにみえる理由を述べたものであることは、その供述内容自体からして明らかといわねばならない。右供述は一種の秘密の暴露に該当するものであるが、これが実は虚偽であつたということは、被告人がいかに捜査当局の意を汲むことに努め、知恵を絞つていたかを如実に示すものといえよう。

(7) 被告人会社の昭和五三年三月二〇日付取締役会開催に関する被告人及び寛二の右取締役会を鎌倉の自宅で現実に開催した旨の供述について、原判決は、正当にも、その真実性に疑問の余地があるとしたにも拘らず、右供述部分の真偽如何は質問てん末書及び検面調書全体の信用性を減少せしめるものとはならないとした。

たしかに右供述のうちには、原判決が判示するような、被告人及び寛二に善良な納税者としての面もあることを匂わせる部分もあるが、基本的にはそのような趣旨に出たものでなく、全く別の動機からなされた供述なのである。

すなわち、右取締役会の開催ないし取締役会議事録に関する被告人らの供述はいずれも起訴後の取調べにおいて初めてなされているものであるが、右起訴後の取調べは、起訴された後においてもなお修正申告をして、少しでも脱税額を減らそうと努めていた被告人、とくに寛二が国税当局の差押を免れたまま自宅に残つていた右取締役会議事録の存在に気が付き、これを示して検察官に対しあらためて取り調べをしてくれるよう自ら積極的に申し出たのに対し、検察官がその重大性を認め、自ら寛二の自宅に赴くなどして右議事録の存在を確認した結果行われたものである。その際の寛二らの意向は、右取締役会が実際に開催され、右議事録記載のとおりの決議がなされたことにより、被告人個人で経営する店舗は被告人会社に譲渡され、昭和五三年四月以降被告人会社の経営に属するに至つたものであること、したがつて被告人の昭和五三年分の所得額及び脱税額が国税当局及び検察官の認定した額よりも少ないことを主張し、これを検察官及び国税当局に認めてもらおうとするところにあつた。したがつて、被告人及び寛二は、検察官に対し右取締役会開催の事実がないにも拘らず、これを実際に開催し、右決議をなした旨虚偽の供述を貫いたのである。そして寛二は同時に自らあるいは関与税理士を通じて国税当局に対しても同様の主張をして、昭和五三年分の被告人の所得税及び被告人会社の法人税につき修正申告をしたい旨申し入れたのであるが、応対した田中正人査察官から「心証が悪くなる」として難色を示されたためにこれを諦めたという経緯がある。

このような次第で、被告人及び寛二は右取締役会の開催に関して虚偽の供述をなしたのであるが、同人らの右主張は結局検察官の理解も得るに至らず、同人らの供述も、取締役会を開催し、被告人が経営していた店舗を被告人会社に組み入れる旨の決議をしたが、「五四年三月末の決算期までに現実に譲受け組み入れをしておかなければならないことについては気にとめていなかつたのが実情でした」(被告人の昭和五五年四月一一日付検面調書一一丁裏ないし一二丁表」との結論に終わり、同人らの前記意図は全く達せられなかつた。

以上のような事実に照らせば、被告人らの右虚偽の供述が「酌量を求める趣旨」に出たものなどでなく、却つて事実に反しても税額を減らしてもらいたいという趣旨に出たものであることが明らかであると言わねばならない。

このことは、たとえば被告人の昭和五五年四月一一日付検面調書の「寛二名義の店を除く私の個人で経営する店を株式会社加藤に組み入れて申告し、それが認めてもらえれば私の五三年度の所得税の脱税分が五三年四月から一二月分までが減ることになり、その所得税の修正額が少なくなり、脱税事実が表面に表れなくて私に有利になるわけです。現実に五四年三月末までに個人で経営する店を株式会社加藤で譲受けていなくても、五四年五月の申告の際、譲受けた旨記載した営業報告書やその店を含む計算書類を出せば、容易に認めてくれるということを税理士さんなどから聞いておりました」(一〇丁表ないし一一丁表)との供述ひとつをみても明らかである。

しかるに原判決は、右供述の趣旨を誤解したうえ、「右供述の真偽如何は質問てん末書及び検面調書全体の信用性を減少せしめるものとはならない」と断定したが、原判決のかかる論法には大いに疑問を抱かざるを得ない。

原判決は、被告人の本件脱税の実行行為の存否、犯意の有無及び本件事業の経営者はだれであるかという、いずれも本件において最も重大な事項の認定を直接左右するものというべき前記(4)、(5)及び(6)において取り上げた各供述について、その供述内容がいずれも虚偽であることを認め、または少なくともその信用性に疑いがあるとしたにも拘らず、それら各供述の趣旨およびかかる虚偽の供述がなされた所以を正当に理解しようとしないのであるが、右取締役会開催に関する被告人らの右虚偽の供述についても、前記各供述についてと全く同様に、該供述の趣旨を曲解して、該虚偽供述部分が調書全体の信用性に影響を及ぼすことをことさら回避することのみに意を用いている。原判決は、被告人らが何故かかる虚偽の供述をなしたのか、取調べ当時における被告人及び寛二の意向、心理状態、取調べに臨んだ姿勢、これに対する国税当局及び検察官の対応の実態等にまで踏み込んで、その真の理由を真摯に究明しようとの姿勢を欠如するものであり、その結果捜査段階における被告人及び寛二の供述の信用性について正しい判断にいたりえなかつたものと言わざるを得ないのである。

このように、原判決は、捜査段階での被告人及び寛二の各供述調書の信用性を認めるために、重大な事項について虚偽の供述がなされているということを正面から取り上げようとせず、その供述の趣旨を曲げ、あるいは該供述が他の供述部分の信用性に影響を与えないと断じているのであるが、かかる原判決の姿勢は到底適正な刑事裁判の実現に資する所以ではない。

3 ところで本件に現れた証拠のうち、被告人が本件脱税の実行行為に関与したことを裏付けるものが被告人の自白及び寛二の供述のみであり、しかもこれら各供述がその内容自体において信用できず、少なくともその信用性には多大の疑問があることは明らかであるから、これをもつて右事実を認定することは許されないばかりでなく、本件においては逆に被告人が右実行行為に関与していないことを示す少なからぬ外部的な事情が存在することを指摘しておきたい。

すなわち、本件の捜査によつて押収された膨大な証拠物の中に、被告人の右関与を推認させるに足るものが何一つとして存在していないこと、被告人と寛二の事業における役割分担の実態、両人が親子の関係であり相互の信頼関係に基づき、互いの業務をチェックしあうというような作業は全く行われていなかつたこと、ことに経理関係はすべて寛二が掌握しており、単独で意思決定をなし、税の申告についても、当時関与していた小西税理士と相談する以外は寛二が単独でその内容を決定し、被告人のチェックまたは了解を求めなければならない事情はなかつたこと(被告人らの捜査段階における各供述をみても、寛二から確定申告書を見せられたとする被告人が該申告書の内容について、たとえば何らかの意見を述べたり、質問をしたなどの事実は全く窺われず、一体何のために申告書を被告人に見せなければならなかつたのか、その理由ないし必要性が全く不明であり、単に「見せた」「見せてもらつた」という概括的なものにすぎず、極めて内容に乏しいと言わざるを得ない)、申告に関与した小西税理士は捜査、公判を通じ、被告人の関与を否定する趣旨の供述を維持していること等の事情に照らすならば、被告人が寛二から申告書を見せられた旨の認定がそれ自体いかに不自然なものであるか容易に理解できよう。

4 なお、弁護人は原審で「本件法人税確定申告の際、小西税理士に正しい金額の計算をしてもらつたことがある」旨の寛二の捜査段階における供述(昭和五四年六月一日付質問てん末書)は、公判廷における小西税理士の証言に照らし明らかに虚偽であることを指摘した。寛二の右供述は、脱税の認識の有無及び実行行為の内容と直接に関わる重要な意味を有するものであり、現に一審判決も右供述の信用性には疑問を呈しているところであるから、原審としては当然に右供述の真偽を吟味し、しかるべき判断を示さなければならなかつたといわねばならない。

しかるに、原判決はこれに対し何ら答えるところがなく、この点において審理不尽を犯した違法がある。

二 本件個人事業による所得が被告人のみに帰属するとの認定の誤り

1 上述したとおり、被告人は本件各公訴事実記載の脱税の実行行為には何ら関与していないことが明らかであり、少なくともこれには合理的な疑いを払拭できないというべきであるが、原判決は他方において、被告人が本件個人事業の経営者であると認定しているところ、この点に関する認定が右実行行為の認定にも意識的または無意識的に大きい影響を与えていると思われるので、以下においては本件個人事業の経営者如何に関する原判決の認定の誤りを明らかにしたい。

2 原判決は、「寛二が本件事業の開始当初に拠出した資金は、跡取り息子である被告人に対する金銭的援助であつて、法律的には贈与ないし消費貸借に相当するものであり、本件事業は被告人の采配によつて営まれて」いるとし、他方「寛二においても被告人の事業の発展のため経理面を担当するなどして応分の寄与をしてきたことが認められるが、(中略)寛二の本件事業への関与の内容・程度からして、本件事業が寛二の単独経営であるとか、被告人と寛二の共同経営にかかるものとはみとめられない」と判示した。

原判決は右結論を導いた根拠として諸「事実」を挙げているので、まずこれらについて検討を加える。

3 まず寛二が上京した目的について、原判決は、「被告人がキャバレー等の営業者として独立するのを支援するためであつて、寛二自らがキャバレー等の営業をはじめるためではなかつた」と認定しているが、これは極めて一面的な見方である。

寛二は函館に在住していたころ、被告人が従兄弟の大沢兄弟と共同経営しているものと信じ、被告人に対し相当額の資金を送金して援助していたが、その実被告人は共同経営者ではなく、給料をもらつているだけの単なる使用人にすぎなかつたこと(この点につき原判決は、一審判決と同様に、被告人が大沢兄弟と共同してキャバレー等を経営していたと認定しているが、これも事実誤認であり、弁護人はこの点を立証するため原審において証人大沢進の取調べを請求したにもかかわらず、原審がこれを採用しなかつたのは審理不尽の違法を犯したものである)、送金した資金はそのほとんどが大沢兄弟の事業のために使用され、被告人には格別の見返りがなかつたことなどが判明したため、被告人の事業経営能力に不信を抱くにいたり、それまでに注ぎ込んだ資金を回収する意図のもとに妻とともに上京し、被告人を大沢兄弟から切り離して、いわゆる水商売についての被告人の経験を利用して事業を始めようとしたのである。

寛二が一人息子である被告人を早く一人前の経営者として独立させたいとの希望を抱いていたことは事実であるが、水商売のいわゆる営業面に関してはともかく、事業経営者としての知識・経験・手腕、とりわけ事業経営における最重要事項である資金の調達・運用といつた財務の面については、被告人は正確な知識も経験もなく極めて未熟であり、いまだ経営者たるに足る資格を有していなかつたので、寛二は当分の間は会社経営についての自己の知識・経験を活かし、自らの意思と責任において事業活動を開始遂行する傍ら、被告人にも経営者としての経験を積ませ、徐々に経営者として大成してもらいたいとの希望を抱いていたのである。

したがつて、寛二が上京した直接の目的は、被告人の営業手腕を活用して自ら本件事業を営むところにあつたというべきであり、同時に被告人を経営者として育成する目的を伴つていたとしても、それが直ちに営業者としての独立に対する支援であるとはいえない。被告人の営業者としての独立は、被告人自身及び寛二にとつてあくまで将来に残された課題であつたのである。これらの点は、第一審における被告人及び寛二の詳細な供述から疑いの余地のないところである。

4 次に原判決は、「被告人にはキャバレー・バー等いわゆる水商売の経験が足かけ一〇年あつたのに対し、寛二は石油関係の会社で長年総務関係の仕事に従事するなど水商売の経験は全くなかつた」と判示する。まさにそのとおりであるが、水商売の経験の有無は、だれが本件事業の経営者であるかを認定するにあたつて決定的な事柄ではない。被告人は三〇歳そこそこの若輩であつて、水商売の経験というのも単にいわゆる現場の営業面に限られており、全体的視野に立つて事業を統括するという事業経営に不可欠かつ本質的な業務についての経験は全くなかつたのに対し、寛二は原判決も認定しているとおり、長年会社役員として会社経営の中枢ともいうべき総務関係の業務に従事した経験が豊富であつて、事業全体を統括する資質を有していた。このような被告人と寛二の知識・経験の実質における差異及び親子であるという身分関係に照らせば、事業全体を統括しえたのが寛二であり被告人ではないことは明らかである。

原判決の右判示は、水商売の経験の有無を過大に評価し、事業経営の真の意味を見失つたものというべきである。

5 原判決は、被告人が大沢らから「ニュークインビー」、「ニュー浦島」の二店の経営権を譲り受け、「グランドタイガー」とともに三店を元手にして挙げ得た利益を再投資し銀行からの借入をも得て次々と新規開店し十数店舗を有するに至つた旨認定しているが、右「グランドタイガー」が寛二が資金を拠出して取得し、自ら経営した店舗であることは原判決も認定したとおりであり、また他の右二店舗も被告人が譲り受けたものではあるが、譲り受けた後の経営は寛二が行つていたものであつて、原判決の右認定は事実誤認であるばかりか、被告人がこれら各店舗の経営者であるとの結論を先取りした議論であつて、循環論法に陥つたものとの批判を免れない。

なお、被告人の経営名義にかかる店舗が十数店舗にも及んだのは、銀行取引を始める一方、経費の節約に努めるなど、寛二がその能力を発揮して事業経営に全力を注いだ結果なのであつて、かかる業績の向上は寛二に負うところ大であつて、被告人の水商売の経験だけでは到底図り得なかつたものである。

6 原判決はまた「本件キャバレー・バー等の営業は、客の出入・人気・客層によつて収支が大きく影響する不安定な商売であり、これらについての知識・経験・才覚のある者が営業にあたらなければ、容易に継続した利益を挙げ得ない業種であること」、「被告人が営業面を全面的に掌握し、経営戦略を立ててこれを実行に移し、新規出店の是非、出店場所・店舗の選定・店舗改装の要否、ホステス等の従業員の採用、営業名義人・店長等幹部職員の選定等を決定していたもので、本件事業は被告人の存在・活躍を基本として開始され、経営が成り立つているのであつて、被告人の存在・活動をぬきにして経営されているものではない」と判示し、本件事業における被告人の役割を強調している。

しかし、本件事業のような業種において、いわゆる営業活動が収益の向上・維持に重要な役割を有することを否定することはできないとしても、その業務自体、かならずしも経営者自らがその業務に直接あたらなければならないほどの必然性または内容をもつ業務ではなく、それなりの「知識・経験・才覚」を有する者を従業員に採用し、これに従事させれば足りるものである。これに対し、寛二が従事していた業務は、資金繰り、銀行からの借入の要否・返済可能性の判断、決定及びその実行、支出の要否の判断・決定及びその実行等、事業における最高度の意思決定を不可欠の要素として包含するものであつて、その性質上、経営者自身がこれにあたることを必須とする業務というべく、これを単なる従業員に委ねることができないものである。

このような業務自体の性質において、被告人が関わつていた営業業務と、寛二が掌握していた財務ないし経理業務との間には根本的な質的落差が厳然として存するのであつて、被告人と寛二のいずれが経営者であるかは、彼らが従事していた業務の内容とその意味あいを考察すれば、自ずと明らかである。

なるほど本件事業が被告人の存在を契機として開始されたという事実は否定し難いとしても、原判決の「被告人の存在・活動をぬきにして経営されているものではない」との判示は、被告人と寛二の本件事業への関わりのもつ意味あいを正しく把握しえず、本件事業におけるいわゆる営業の位置付けないし意義を過度に強調する重大な誤りを犯したものであるといわざるを得ない。

7 原判決はさらに、銀行からの借入が被告人名義で行われ、銀行は営業主を被告人としてその信用力を評価して貸付をしており、不動産・モーターボートの購入等主要な対外的法律行為が被告人名義で行われているとして、これを被告人が経営者であることの徴表として挙げている。

事業の経営者がだれであるかを判断するにあたり、重要なことは、事業遂行上の重要事項についての最終決定権限がだれに属していたかという点であり、対外的法律行為の名義如何とか、第三者の認識如何が必ずしも決定的な意味を有するものでないことは、既に弁護人が原審で指摘したところである。しかるに原判決は格別の理由も示すことなく一審判決と同様、対外的に被告人名義が使用されていたことをもつて事業経営者の認定の資料としたものであつて、到底承服しえないところである。

なお、銀行が営業主を被告人としてその信用力を評価して貸付をなしたとする点は、いかにも皮相な見方である。取引銀行が日常相手にしていたのは寛二であり、被告人とはほとんど接触がなく、被告人の人物・経営者としての資質・事業に対する考え方等についての情報を入手しうる術は全くなかつた。否、そもそも銀行としては、日常接触する寛二の人となり及び本件事業の業績を信用すれば十分であり、それ以上に名義人である被告人自身に関する情報など入手する必要はなかつたものであつて、信用の直接の対象は被告人名義で行われている事業の実績や将来性そのものであり、その信用を担保としたものは被告人名義の不動産・預金等の資産であつたというべきである。

銀行取引におけるかかる信用供与のありかたは至極当然のことであつて、原判決の右判示は銀行取引の実情を全く理解しないものといわざるを得ない。

8 原判決が、「被告人と寛二の間には共同経営の基礎的要素である損益分配の約定は定められておらず、寛二が開業資金として提供した金額についてもなんら約定がなく、また被告人・寛二とも給料として確定額が支払われているわけではない」とする点であるが、親子間の共同経営という形態それ自体ありえないものとしてこれを否定するのであれば格別、そうでなければ、一般に親子間の共同事業においては、他人間の共同経営と異なり高度の信頼関係を基礎として営まれるのが通常であるから、自他の区別ないし相互の権利関係を明確にすることはむしろ忌避され、損益分配の約定など締結されないのが通常であるというべく、原判決の右判示は、かかる実情を全く無視した観念的な議論にすぎない。本件事業は寛二が経営していたものとみるべきであり、損益分配の約定がなかつたのは当然であるが、かりにこれが共同経営だつたとしても右約定の不存在はなんら異とするに足りないというべきである。

また、寛二が単に出資しただけで、事業に携わつていなかつたのであれば格別、寛二は自己の事業として本件事業を開始遂行し、自ら事業全体を統括していたのであるから、自己が拠出した開業資金について被告人との間で何らの約定を締結する必要がなかつたのである。さらに、寛二が自己及び被告人の生活に必要な費用については、その都度自己の判断で事業による収入から賄い、確定額の給料としては支給していなかつたものであるが、この事実こそ寛二が経営者であつたことを如実に物語つている。

また原判決は、被告人と寛二が被告人名で購入した敷地内に居住していたこと、被告人及び寛二の家庭が各自必要とする額を本件事業による所得から支出して各自の生活費に充当し、残余は利益として確保し、新規出店等事業拡張・借入金返済等の費用にあてていたことを認定した。右認定は、被告人と寛二が生計を一にする親族であつて、本件事業が被告人と寛二の共同経営にかかるものではないことを論証しようとしたものと思われるが、仮に被告人と寛二が生計を一にする親族であるとしても、事業の経営方針の決定、換言すれば事業の重要事項の最終決定を下すにつき支配的影響力を有する者が寛二であつたことは既に述べたとおりであるから、右認定は被告人を本件事業の経営者と判断する決め手にはなり得ない。

9 以上の検討から「寛二が本件事業の開始当初に拠出した資金は、跡取り息子である被告人に対する金銭的援助で」はなく、まさに出資に外ならないし(弁護人が第一審で証拠として提出した被告人名義及び寛二名義の「株券」に記載された各出資金額を比較すれば寛二の方が大きいが、これは事業開始当初において寛二が事業の支配権を有していたことを反映しているものである)、また「本件事業は被告人の采配によつて」ではなく、寛二の采配によつて営まれているものといわねばならない。

以上のほか、原判決も認定しているように寛二が少なくとも事務所の事務員の採否決定権を握つていたことや、原判決はなぜか言及していないが弁護人が原審で指摘したところの寛二が本件事業に関わる経費の支出・利益の処分に関する判断・決定を単独でなしていた事実及び寛二が単独で有限会社、後には株式会社を設立する等本件事業の組織形態を決定していた事実などを総合すれば、寛二こそが本件事業の事業主ないし経営者であることは明白である。原判決は、事業主ないし経営者がだれであるかを判断するにあたり、極めて表面的な事項に拘泥してこれを誇張し、反面事業主ないし経営者の意義を見失つたものと言わざるを得ない。

第三 結論

以上検討してきたように、原判決は被告人の実行行為及び本件個人事業による所得の帰属について、一審判決と同様、証拠の取捨選択及びその評価を誤り、その結果事実誤認を犯したものである。

原審において、弁護人は一審判決を是正すべく、争点全部について証人加藤寛二の、本件各確定申告書の作成・提出に被告人が関与していない点について同小西貞夫の、被告人が本件事業に関与する前に大沢兄弟のもとで従業員として働いていた点について同大沢進の、本件法人税確定申告書の作成・提出の経緯及び本件事業の経営の実態について同福士幸男の証人尋問請求をなし、また本件の争点全部について被告人本人の取調べを請求し、審理を十分に尽くすよう求めたが、原審はこれを悉く却下した。これら人証の取調べを行つたならば、被告人が本件実行行為に関与しておらず、また本件個人事業の経営者が寛二である事実がより一層明白にされたはずである。

以上のとおり原判決は証拠の取捨選択及び評価を誤り、同時に取り調べるべき証拠の取調べを怠つたために、重大な事実誤認を犯したものであり、この事実誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。

よつて本件上告に及んだ次第である。

以上

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